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2003年6月5日夏日

はっはははっ。(ちょい乾き気味)
今日は、「環境宣言」。

静岡県の「環境宣言」ページとやらなんだけど、通勤並びに町中を遊び回るのに、自転車か徒歩を使用し、自動車は★★★以外の車は持たずに生活し、夏には恒例の公園掃除、お買い物バッグ大好きの猫丸は、まさに環境宣言男。

ま、たばこは吸うし、パソコンはつけっぱなしだし、あまり威張れた物でもないわけだけれども。

それはともかく、環境宣言で「富士山」を検索すると、「守る」「ゴミは持ち帰る」「大切に」と言葉は豊富ではあるけど、みなさん一様に「登る」ことを前提としている。
あのさぁ、ゴミは持ち帰っても、糞尿はおいて帰ってくるわけでしょ?
登るなら、責任持って持って帰ってきてくれよ。富士山の環境破壊をしているのは、どっちかと言えば、糞尿でしょ?

「世界遺産」に出来なかった理由は、あまりに登山者が多いことではなかったっけ?「日本一高い」建物の入場者数と比べれば少ないとは思うけど、どんな建物よりも、長い間そこに建っていることを考えると、登山者数も、べらぼうでありその糞尿たるや、恐ろしい量になると思われる。

いっそのこと、国や県に許可を得て、高山植物研究や火山活動研究目的など、富士山でしかできない正当な理由がある登山者以外は、制限してしまえばいいのに。

富士登山者による富士山へのインパクトは、数十年で取り返せる物ではないと思うけど、広島だって長崎だって、50年を待たずに復興している(そう考えると、これは原爆以上のインパクトを与えてることになるけど)。
少しずつ、自然な状態に戻っていくんじゃないかなぁ。

植林も良いし、バイオトイレも良い。けど、人が立ち入らない場所にしてしまうのが、一番手っ取り早い。せめてオリンピックの年だけ登れるとか、10年に一度とか。

もちろん、この思想の根底には「富士山は登る物じゃなくて眺める物」というポリシーが脈々としている。ものぐさ太朗な猫丸思想である。

けど、登っておいて「守る」と口にするのは、本当に難しいと思う。
山は登るから破壊されるので、登らずに崩れるのは「風化」といって何億年も前から行われていることで、人間のせいじゃない。

「守る」のは、「壊す」のと表裏一体である。「壊す者」も「守る者」も「登る者」であることにかわりがない。「眺める者」は、少なくとも、「壊す者」と「登る者」ではないことに間違いがない。
つまりこれこそが「守る者」であるというのは、詭弁だろうか?

「山小屋の経営者はどうするんだ」と反論もあるだろう。
でも、「捕鯨船に乗っていた人たちはどうなったの?」と聞きたい。
環境を守ることで、職を失った人たちは、今までも居たはずだ。
転職せざるを得ない場合もあるかも知れない。数の問題ではないが、数軒の山小屋と、世界遺産を天秤にかけるのはいかがなものか?
救済策を立てて、転地して頂くのは、道路を造る時の常套手段じゃないか?

「富士山」をただ眺めている猫丸は、登る人の気持ちはわからない。
「一度登ってみたい」という衝動がないわけじゃないけど、登れなければ、もっと多くの人がそう思うようになるはずだ。
そうすれば、もっと多くの人が富士山を宝物のように感じてくるはずである。
「守るために潜れない」海があるように、守るために登れない山があってもいいと思う。

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